徒然草は「貧しい」とは衣食住と医療(薬)が十分に得られない状態であり、それが得られていれば「富んでいる」と書いています。そしてこれ以外を追求できるのを「贅沢」というらしいです。そしてつくづくと一年を暮らすだけでも、このうえなく長く安らかな人生だと言えると記しています。徒然草を読むと、それほど贅沢はできないものの、自分は富んで安らかな生活を送っているんだなと思います。その幸せを感じつつ、日々の生活での新しい発見について書いていきたいなと思います。
学習者が自律していないとなげきなら、実は、自分自身(の言動)が学習者の自律の玉多気になっていることに気づいていない教師は多い。同じように、子どもが自立することを願いなら、実は自分自身がその妨げになっていることに気づいていない親も多いのだと思う。たぶん自分もそうだ・・・ 親業という書籍が出てもう25年になるけれど、状況はあまり変わっていないのではないかなと思う。
今日はタイの継承日本語教育関係者の先生方とお話をさせていただいた。そこで言われたのは「論文は査読があるところに出した方がよい」ということだった。なぜなら査読があるところに出せば、論文が掲載されなくてもフィードバックがもらえるから・・とのことだ。人と話すこと、人に読んでもらうことを考えると、全くその通りだなと思った。
今日は進級試験と並行して、大学のオープンデ―にも参加する。とはいうものの、ほぼすべてを学生と卒業生が仕切ってくれたので、私は立っているだけで済んだ。進級試験の方も、同僚がすべてやってくれたので自分は最終的な成績をデータとして大学のシステムに上げるだけだった。組織の力というものを強く感じる1日であった。
今日の研修では気になったキーワードがいくつも出てきた。1つは潜在変数と観測変数。潜在変数を観測変数で構成する、構成概念を考えることが評価につながるということだ。もう1つはフィードバックリテラシー。これはいつも学生には口で言ってはいるが、うまくコースで具体的な方法を示せていない。気になる本も1つ発見。それは
日本語でPEACE CLIL実践ガイド (CLIL日本語教育シリーズ)
ネットで「みんなの翻訳」の存在を知る。翻訳対象は英語だけのようだが、かなり使えるらしい。論文を読んだり、要旨を書いたりする際に使えるようにしなきゃ
今日、自分の書いた論文を他の研究者に見せたところ「データの扱いに大きな問題がある」との指摘を受けた。この論文が外に出ると、特定の方にご迷惑がかかるとおことで、すぐに論文撤回をした。まだ論文集は公開されていなかったので、この点は安心したが、傷ついた方の心は癒せてはいない。人文科学系の研究でも倫理的問題が言われるようになっているが、非常に甘かったと反省。今回自分がしてしまったのは、①公に公開されているデータを自分なりに分析した。②データを公開した当事者にとっては疑問に残る分析であった。③分析するための許可も得ず、分析も客観性に欠けるものであるため、エチケット違反・・というものである。公に出ているものだから・・と安易に分析の対象としたのはまずかったということを学んだ。今後は気を付けなければ。
2019年以来、久しぶりに対面で卒業試験を行う。居員8名を前に学生が1人で試験をするのは緊張するだろうなと思う。学生によりレベルの差はあれど、皆、面白いテーマで卒業論文を書いていることがわかった。従軍慰安婦の問題を調べた学生もかなり冷静な目で事実を捉えようとしている姿が見えた。夜、職位を上げるための書類を学科長に提出する。これまでどうすれば職位が上がるかはっきりしていなかったのだが、雑談でその話となり、同僚が学科に正式に問い合わせてくれたおかげで書類の提出は拒まれないということがわかった。今より上の職位上がれない場合にはその理由がはっきりするので、(克服できない大きな問題ではない場合)今後の課題も見つかるだろう。
新しい学長になったからかどうかはわからないけれど、研究費申請の枠組みが大きく変り、これから2年ごとに「研究グループ」「個人」で研究費申請ができるようになった。とりあえず、ダメ元で教授法教材作成と言う研究とは言いにくいもので申請を出してみる。妻の助けを借りて数日かけてなんとか文章を作成し無事アップロード。お金の申請の仕方がよくわからなかったが、今回は出しただけでミッションコンプリート。(もし申請にOKが出ると仕事が増えるから・・という恥ずかしい理由もある。)
最近、ライフキャリア形成のサポートも日本語教育の範疇に入れるべきという研究が進み始めている。例えば日本語教育学会の雑誌『日本語教育』も2020年4月に発行された第175号がライフキャリアについての特集を組んでいる。しかし「日本語教育=教授者が学習者に日本語を教える」と思っている(主に日本語教育外の)方にとっては、それって日本語教育の範疇?という疑問を持つようだ。うまく説明できるようにならなければ。
http://www.nkg.or.jp/wp/wp-content/uploads/2020/04/175_0.pdf
高校生の息子が夏休みに入った。実際にはここ2週間ぐらいは授業もほとんどなく、夜も毎晩友達のところに遊びに行ったりしていたので実質上は既に夏休みに入っているといってもよかったが、今日からは学校に行く必要もなくなる。というわけで、早速4泊5日で友達のおばあちゃんのところに遊びに出かけて行った。友達と東駅で待ち合わせということで、初めての路線でのバスと市電の1人での利用に少し緊張していたが、その後、電車で友達と楽しく座っている写真を送ってきた。どんどんたくましくなるなあ。子供の1つ1つの成長が楽しめるのは親の特権だなと思う。
研究支援の申請文章を書いているのだが、眠くて眠くてしょうがない。気分転嫁に妻が義母を見舞いに行くときに一緒にいき、庭で3人でお茶を楽しむ。職場の事務作業はまた大きな壁にぶつかってしまう。締め切りはもうすぐそこなのに、学部をうまく動かせない自分がもどかしい。無力感!もっと政治力があればいいのかな。
欧州ネーションズリーグで、ハンガリーがアウエーでイギリスに0対4で勝利した。黄金チーム時代以来のことなのだそうだ。これまではイギリスと試合がある旅に、半世紀以上前にアウエーで6対3で勝利したときのことが語られてきたが、今後はその状況も変わるのかもしれない。その面で、歴史が塗り替えられた日なのだろう。
教員の待遇が悪いという問題が深刻化しているようで、今年に入ってストライキ、そして政府への抗議活動(市民的不服従)が各学校で発生している。市民的不服従というのは簡単に言うと授業をボイコットすることのようだ。政権は新しくはなったが政策を何も出さなかった与党が圧勝したし、更に教育が内務省管轄になったことで、教員の待遇改善は更に遠のいた可能性がある。(現政権は反EUの姿勢を貫いていることもあり、EUからの補助金がストップした状況にある。政府はこのせいで教員待遇改善が難しいとしている)。ストに関しては憲法違反としてこれを封じ込める法案が通った。こんななか1校、2校と秋から市民的不服従を宣言する教員が出始めている。今後も少し揺れそうだ。(待遇に関しては大学教員も同じ。先日の教員全体会議でもあまりよい話は出ていなかった。)
今週はハンガリー語の書類づくりがいくつもある。もうハンガリーに来て30年以上になるのに、いまだに書類づくりは困難を極める。PCとにらめっこをするので夜には気持ちが悪くなってしまう。今週から学生や同僚とのオンライン会議が毎日1~2あるので、そのときは気がまぎれる。
今朝もサクランボ狩り。昨日より更に高いところまで登ってみる。午後は息子の友達もサクランボ狩りにやってきた。サクランボのおかげで我が家はとても賑やかである。昼はお庭で昼食。そして昨日ブランコのマットを勝ってきたのでブランコを洗いマットをしく。とっても久しぶりにブランコに座る。気持ちいい。
今日はAJEのニュースレターづくり。いつもブラウザから写真を埋め込もうとするとエラーになってしまう。ブラウザを2つ使いなんとかやっていたが途中からどちらのブラウザでも写真がアップロードできなくなってしまった・・・PCの再起動で処理。こういう作業が面倒くさい。
今日作成すると決めていた2つの書類は1日かかったが何とか作成する。仕事の合間を縫ってサクランボ狩り。古いサクランボの木は「もうそろそろ切らないと駄目かな」と妻と相談していたのだが、今年はものすごい量のサクランボを実らせる。昨日は妻の生徒さんたちがサクランボ狩りに訪れていたが、今日は自分も久しぶりに木登りをしてサクランボを取る。木の上からの眺めはやはり素晴らしい。
トルコの大学で日本語や哲学を教えている川本さんが書いた記事を読む。人は不安・混沌の中で、革命を叫ばずとも、他者と言葉を紡ぐことで力強く生きているという内容の記事であった。非常に考えさせれる。自分はこのように読者に考えさせるような文が書けるのか・・と自問自答する。川本さんの記事の中に出ていた『明日の医者』についてももっと読みたいな。
夜、ドキドキしながらワルシャワのホテルの予約。未だにオンラインで予約を取るときは緊張する。夜到着して、朝には出発するというトランジットの1泊なので空港近くのヒルトンホテルにする。ヒルトンオナーズに登録すると安くなることを知り、その手続きも・・緊張してしまい同じ予約を2回もしてしまいあわてて1回分をキャンセル。ヒルトンというと高級ホテルでとても自分には泊まれない・・というイメージだがとても安かった。(騙されているのかな・・・)また心配になる。
同僚と修士課程のカリキュラム改善について話。話といっても、同僚の改革案をふむふむと聞く程度。実際には何も手伝ってはいないが、共感を持ってそこにいるだけでも何かの役に立っているのだろうかとも思う。
夜、学生と話。この学生は自分で目標を定め、それを確実にクリアしていける強い人。こういう人に私ができることは邪魔をせず、チャンスを見つけたらシェアすること。
2日間に渡る進級試験が終了。試験実施については大学が定めた厳格なルールがあるが、ルールに記載されていないことが毎回発生する。試験に携わる教員は私を含めて5名だが、何かあったときの判断は自分にまかされている。いつも自分の判断が正しいとは思わないけれど、他の仕事もある同僚と、学生の事情を考慮し何とか今回も乗り切ることができた。どれだけ準備しても想定外のことは発生する。臨機応変にやるしかないのだろう。
ある課題について指示を受けたのだけれど、何をどうしてよいかわからない・・・という状況になりました。そこで、信頼している同僚に相談したところ、非常に丁寧に教えてもらいました。人に聞くって本当に大切だなと改めて思います。
朝1番で妻のいちご狩りに行く。とりあえず持ってきた容器に取れるだけ取ったが12kg以上となる。(もちろん取りながら食べる)。帰宅後、妻が早速ジャムやシロップなどをつくってくれる。自分もアイスをつくった。午後、義母も連れて家族で喫茶店に行く。楽しいひととき。息子に恋人の写真を見せてもらう。なかなかかわいい子だった。夜、准教授になるための書類を学科長に提出。なれるとはとても思えないが、出さないと何が足りないかわからない。表の基準と裏の基準があるとは思うが、裏の基準が何かわかるといいな。
仕事をしようとすると眩暈がする・・という完全怠け者モードに入ってしまい、メールにすら返事が書けない状況となっている。午前中は横になっていたが、それはさすがにまずいということで午後、妻の庭仕事を手伝うことに。我が家には古いサクランボの木があって、毎年「今年が最後かな」と思うのだけれど、今日見上げてみるとかなりのサクランボがなっていて感心してしまう。妻が次の金曜日に生徒さんを呼ぶことになっているが、これだったらサクランボ狩りができそうだ。我が家の小さい畑の一部のスペースは埋めた生ごみスペースがあって(3か所ほどスペースがあり、毎年違うところに穴をほっている)毎年そこから何かが生えてくるのだが、今年はキクイモがたくさん生えてきている。キクイモは5メートルぐらいまで伸びてしまうということで庭のはじっこに植え替え、生えているネギなどを妻がすべて抜き、再度耕して小松菜などの野菜の種をまく。大したことはしていないが、外で動いたということで「何かをやった感」があって救われる。
今日はすごい高校生と知り合いました。ハンガリー南部の田舎の村に住んでいる女の子とですが独学で日本語を勉強し、この夏に漢字検定試験準2級とJLPTのN1を受験するそうです。毎日10ページは必ず日本語の小説を読み、70の漢字を勉強して、そして5年間の奨学金を取って大阪大学で日本文学を学ぶための準備としていると言っていました。大学生に講演してほしいなと思いました。
今日は体育大学に進学するという高校生と知り合いました。日本語を勉強して1年半だとのことですが、宮本武蔵の本を原著で読んでいるのだそうです。恐れ入りました。
秋の全国教育学会で発表しようと、妻の力を借りてなんとか要旨を作成して提出した。(今日が締め切りだった)。去年はポスター発表をしたのだけれど、ポスター要旨だけで6000フォリントも取られるのが馬鹿らしいので、今回は普通の発表で応募した。落ちたらしょうがないし、ポスター発表となったら、6000フォリント払えばいいや・・という感じ。とにかくハンガリーの学校にも参加し続けることが重要だ!
大学に籍はあるけれど、仕事のほぼすべてが事務作業。今日は職場で研究公募があり、学長局(オンライン)でその説明会があったのだけれど、最低3つの学部の教員がチームとなり、docens以上の人がリーダーシップを取る必要があると言われ・・・ちょっと無理かな・・と思ってしまった。結局また事務仕事に・・